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大学。今でこそレジャーランド化などと質の低下が叫ばれていますが、この曲の書かれた19世紀のドイツの大学と言えば学問の府、象牙の塔という印象が強いのではないでしょうか。事実、物理学や医学でドイツは世界をリードしていましたが、学生の多くは「狭い陰鬱な高校と、厳しい役所勤めの間の大休暇」という認識のもと、当時から酒・タバコ・決闘といった遊びに彩られた生活を満喫していました。故郷を離れて大学に入学したFuchs(狐)、つまり新入生たちは、まず学生組合に加入して居場所を確保し、彼ら「礼儀知らずの狐たち」は組合の上級生から酒場やフェンシング場で学生の作法を教わりました。ことにアルコール文化に関しては、三十年戦争中ある市長が敵の出した3.25リットルのワインを一気飲みして町を救った話が語り継がれるお国柄です、夜な夜な酒場で激しく騒いでいたようです。ゲーテの『ファウスト』にも登場するこのような賑やかな宴席では歌の一つや二つが声高に歌われたことでしょう。 1879年、ドイツのブレスラウBreslau大学(現ポーランド領ヴロツワフWroclaw大学。来年創立300年を迎える)から名誉博士の学位を贈られたブラームスは、その返礼としてこの曲を作曲しました。作曲者自身に学生経験はありませんが、何かの機会にゲッティンゲンの学生と交わった時の楽しい印象から当時歌われていた四つの学生歌を取り入れ、彼としては珍しいくらい打楽器を多用した華やかな序曲を書き上げました。用いられた学生歌は曲中登場する順に以下のとおりです。 「我らは立派な校舎を建てた」ティンパニのロールに導かれて三本のトランペットが朗々と歌う旋律。歌詞はその校舎の中で日々たゆまぬ努力を促すもので、音楽も思わず背筋を伸ばしてしまう荘厳な調子です。 「国の親」前曲からテンポを速めて最初の盛り上がりを経た後に、セカンドバイオリンによってゆっくり奏される旋律。その美しさと裏腹に、時代を反映した歌詞は国家のために殉ぜよ、という内容。 「狐狩りの歌」恐らく最も有名なフレーズで二本のファゴットによって軽快に登場する。今風に言えば一気飲みのコールとして使われていたようです。狐が何を指すかは分かりますよね? 「だから陽気にやろうじゃないか」曲の終結部、いよいよクライマックスという時に3拍子で現われる旋律。歌詞も青春時代の愉しさを謳歌する内容で、輝かしいフィナーレが築き上げられます。 さて現代に目を転じると、偶然一つのキャンパスに居合わせた趣味を同じくする者たちが集まって学業そっちのけで活動するサークル。二世紀前のドイツの学生組合と、学生生活を彩るその本質は変わっていないのかもしれません。本日の演奏会は「人生の大休暇」を過ぎてしまった人も、その真っ只中にいる人も一つのサークルを紐帯として参加しています。客席の皆さんも、この大学祝典序曲をそれぞれの学生時代を思い浮かべながら楽しんで頂けたら、と思います。 あとは演奏の出来が大学呪典序曲になってしまわぬよう気をつけましょ、舞台の皆さん。 (乗ってないから好き勝手書けるく〜り〜)
この作品は、19世紀初頭にヨーロッパにその名を轟かせた英雄ナポレオン率いるナポレオン軍とロシアとの壮絶な戦いを描写的に描いたものである。 1812年にナポレオン軍は、60万の大軍をあげてロシア軍を討ち、堂々とモスクワへ入城するのであるが、モスクワ市民は焦土戦術をもってこれに報いたため、ナポレオン軍は住居と食糧に困窮し、わずか1ヶ月で総退却をはじめる。 きびしい冬将軍の到来と執拗なゲリラ作戦に、さすがのナポレオン軍もニーメン河にたどり着いた時には、わずか2万に激減していたという。“コルシカの英雄”ナポレオンの運命は、この敗戦から傾きはじめ、やがて世界史は大きく変転していく。こうして、1812年はロシア国民にとって忘れえぬ記念すべき年となったのである。 この『1812年』は、もちろん、この大戦争のロシア軍の勇戦とナポレオン軍の敗北を描いたものであり、1881年の夏に予定されていたモスクワでの工業博覧会の開会式のために依頼され、作曲された。チャイコフスキー40歳のときの作品である。チヤイコフスキー自身は「お祭りのために作曲するなどとは、全くつまらないものだ」「すごく大きくて騒がしいもので、暖かい愛情など持たずに書いたので、きっと芸術的価値はないでしょう」などと述べ、この依頼に気乗りがしなかったようである。しかし、この曲はロシアの愛国的な主題を、ロシアの聖歌や民謡、さらにフランスとロシア両国の国家を組み込んで、絵画的にわかりやすく効果的に描き上げた作品として広く知られることとなった。 曲は三つの部分からなり、いくつかの重要主題が絡み合っている。まず、第1の主題(ViolaとCello)は、ギリシア正教の聖歌から採られ、将来の苦難を暗示する。 第2の部分ではまず、木管とホルンに、ロシア軍を表わす記号音風の動機が聴こえてくる。やがて、フランス軍を表わすフランス国家<ラ・マルセイエーズ>の断片が、ホルンやトランペットで何度も顔を出す。これがいったん静まると、美しい民謡風の主題がViolinで現れ、舞踏風の主題も聴こえてくる。ともにモスクワ市民を表わすものだという。やがて、曲は戦闘描写となり、ロシア軍とフランス軍の両主題が入り乱れるが、ついにフランス国家は散り散りになってしまう。大砲の音も聞こえてくる。 第3の部分は、第1の主題が全管楽器とともに壮大に響き、鐘の音も鳴りわたる。ロシアの大勝利である。やがて曲は速度を速め、最後には金管が旧ロシア帝国国家をffffで吹き鳴らし、勝利の大砲の音の中で大団円へと向かう。 (宮澤 桂子)
いまから7年前、ぼくが入学した1993年冬の第2回定期演奏会でこの曲を演奏したときは、まだ湘南藤沢キャンパス(SFC)が設立から4年目を迎えたばかりで、その演奏会はキャンパス内の大教室兼ホールのθ館でおこなわれました。4年目を迎えたということで、はじめて1年生から4年生まで全学年がそろったのがこの年でした。 アインクライネスオーケストラがブラームスの交響曲第2番を演奏するのはそれ以来のことで、このオーケストラの「生みの親」たちにとっては、なつかしく、感慨深い曲で、また5期生以降のものにとっては、悲しみと厳しさを、やさしさと喜びで包みこんだ名曲への初挑戦になります。 さて、ブラームスは1833年、寒さ厳しいドイツ北方の港町、ハンブルクに生まれました。このころは、ショパンがパリに住みはじめ(31年)、サロンのピアニスト兼作曲家として全盛期を迎えようとしている時期であり、またシューマンが『音楽新報』という雑誌を創刊(34年)するなど、音楽ジャーナリズムが発達しつつある時代でもありました。 ブラームスは室内楽、協奏曲、また変奏曲で優れた作品を残しています。しかし、たとえば第1交響曲が約20年もの歳月をかけて構想されて、完成したとき、かれはすでに43歳だったことからもわかるように、「交響曲」という形式もとても大切にしていました。あるいはその慎重さを考えると、交響曲はブラームスが最も重視した形式だったのかもしれません。4曲残した交響曲のうち、交響曲第2番は第1番が完成したその翌年の夏の、ごく短い間にオーストリア最南部の休暇地で書かれています。 1862年、29歳のブラームスはこの年にはじめてウィーンを訪れ、それ以降ここが生活の中心の場になり、この地の音楽界では中心的人物として活躍しました。交響曲第2番は77年、当時の大指揮者ハンス・リヒターによりウィーン・フィルの演奏で初演されています。そのときについてブラームス自身が「ここのオーケストラは歓喜して練習し、演奏し、そして私がこれまで一度も経験しなかったことですが、私を賞賛したのです。」と述べているように、この初演は感動に包まれ満足のできる成功だったそうです。 壮大な楽劇を作曲し、その脚本も書いたワーグナーや、技巧を駆使したピアニストでもあったリストが音楽の革新者として活躍したロマン派の時代にあっても、またロマン的感情を持ちつつも古典派の均整美ある伝統的様式をもとに作曲をした「伝統主義者ブラームス」。現在、「ブラームス・アーベント」と題して来日公演中の、深い教養に裏づけられた音楽観に高度なテクニックを兼ね備えた希少な、世界最高のピアニストの一人、ヴァレリー・アファナシエフは「ブラームス作品集」という素晴らしい名盤を残していますが、そのなかの自らの筆による解説で云っています。 「ブラームスはショーペンハウアーと多くを共有する。ショーペンハウアーの哲学は、気ままな意志を抑制することによって人間存在の悲劇に調和のとれた様式を与えるというものである。年を経るにつれブラームスは若い日の作品に見られたロマン主義的激情に調和を与えることができるようになった。うらやましいほどに熟達した手つきでブラームスは生と死の成分をさまざまに転位させる。」 20代のころから構想を重ねて作られた交響曲第1番が、ベートーヴェンの「闇を通って光へ」の理念を、均整美を崩すことを恐れずに、劇的な感情を大胆に表現したものであったのに対し、第2番は第1番の翌年の作曲であるにもかかわらず、感情と様式がよく調和した、熱い情熱と洗練された美しさを兼ね備えた、成熟の時を迎えつつあった44歳のブラームスにふさわしい名曲です。そして相反する概念として捉えられがちな情熱と様式を新たに調和させることに成功したという意味では、この曲において「伝統主義者ブラームス」として、と同時に「革新主義者ブラームス」としても成功したといえるのではないでしょうか。事実、第2交響曲の6年後に書かれた第3交響曲に関連して、20世紀現代音楽の創始者の一人であるシェーンベルクは「進歩主義者ブラームス」と評しています。 よき伝統を守りながらも、よき未来を望めるようなブラームスのこのすばらしい曲でアインクライネスオーケストラの10周年という節目を祝えるのは、とてもうれしいことのように思えます。 第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ 3/4拍子 ソナタ形式さりげなくレ-ド♯-レとチェロとコントラバスが奏でて曲がはじまります。このさりげない曲冒頭のレ-ド♯-レ(基本動機)が、その後もたびたび現われ、じつは他の楽章も含めてこの曲全体のモチーフになっています。この基本動機の直後にホルンと木管で対話しながら牧歌的でなつかしく歌われるのが第1主題です。その後ヴィオラとチェロによって、せつなさが滲みでてくるような第2主題がだされます。この提示部は楽譜上では繰り返されることになっています。 展開部はホルンが奏する第1主題にオーボエがやさしく答えながらはじまり、音楽は対位法が駆使され劇的に高揚していきます。続く再現部も対位法を用いながらの提示部の再現となっています。 そして弦楽器に伴奏された幻想的で極めて美しいホルンの独奏が続き、やがてやさしく静かに曲が終わります。 第2楽章 アダージョ・ノン・トロッポ ロ長調 4/4拍子第1楽章がわずかに辛さの影をみせつつも、明るく力強いものだったのに対し、この第2楽章は第1楽章でもすでにみえていた「影」の部分が前面にでてくるものです。 チェロによる、なにかを願うような第1主題ではじまります。そして12/8拍子になり慰めてくれるような、過去の想い出が木管によって奏でられます。そしてその後、第3主題ともいえるトロンボーンによる不気味な響きが出現するなどして、昂奮します。 そして展開風の再現部を経て美しくも、なにかさびしいような、深い想いに沈んで曲を閉じます。 第3楽章 アレグレット・グラチオーソ(クワジ・アンダンティーノ)
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